中目黒GT開発の経緯・地区の歴史について

開発・地区の歴史
● 開発の経緯
そもそも再開発の動きは、昭和62年頃から地元の権利者を中心にわき上がりました。昭和63年目黒区が「中目黒周辺地区整備構想」を策定し、再開発推進地区として位置づけたこともあり、平成2年に設立された再開発準備組合は、目黒区の支援を受け、その後酸化した事業協力企業を一体とまった開発が進みました。
開発について
中目黒GTは、その名の通り中目黒駅前のゲートタウンとして、ビル群が建設とともに周辺が整備され、見違えるような街に生まれ変わりました。 (1)魅力ある駅前環境づくり、(2)定住性のある都市型住宅の整備、(3)商業の活性化と適切な業務機能の配置(4)うるおいのある生活環境づくりを目標に掲げて進められた街づくりは、バス停やタクシー乗り場など駅前の交通拠点の整備、駐車場や駐輪場などの地域住民の交通機能の確保、駅前図書館や多目的ホールなど公共施設の整備に大きく貢献しました。また、商業施設や事務所施設は多くの人を呼び込み、地域の活性化に貢献しています。

● 地区の歴史
「目黒区大鑑」によると、大正12年現在の目黒銀座通りが開通、ついで環状線道路が起工、初めて住宅が建築されました。昭和2年には東横線が開通、中目黒駅の開設によって商店街が形成されました。発展に拍車のかかったこの地域は、昭和39年の地下鉄日比谷線開通をきっかけに都心へのアクセスが向上し、金融機関の進出やマンション建設などが進み、大きく変貌しました。昭和60年目黒区策定の土地利用計画の中では店舗と事務所等の商業・業務施設の過密化が著しく、地域環境を総合的に整備する必要のある「過密業務地域」と位置づけられるまでになり、地域再開発事業へと繋がっていきました。

● 沿革
昭和63年 7月 目黒区が「中目黒駅周辺地域整備構想」を発表
平成元年 10月 地権者懇談会発足
平成2年 2月 再開発事業基本計画(素案)発表
4月 中目黒駅前南地区市街地再開発準備組合を設立
平成3年 7月 再開発事業推進計画策定・発表
平成4年 2月 目黒区文化公益施設(1000m2)の取得を決定
平成6年 2月 上目黒二丁目地区市街地再開発準備組合に名称変更
9月 上目黒二丁目地区の都市計画決定の告示
平成9年 11月 組合設立認可
平成11年 3月 権利変換計画認可
平成14年 6月 建物除去工事
3月 工事完了
平成14年 4月 オープン

中目黒GT施設概要