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中目黒GTは、その名の通り中目黒駅前のゲートタウンとして、ビル群が建設とともに周辺が整備され、見違えるような街に生まれ変わりました。
(1)魅力ある駅前環境づくり、(2)定住性のある都市型住宅の整備、(3)商業の活性化と適切な業務機能の配置(4)うるおいのある生活環境づくり、を目標に掲げて進められた街づくりは、バス停やタクシー乗り場など駅前の交通拠点の整備、駐車場や駐輪場などの地域住民の交通機能の確保、駅前図書館や多目的ホールなど公共施設の整備に大きく貢献しました。また、商業施設や事務所施設は多くの人を呼び込み、地域の活性化に貢献しています。
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そもそも再開発の動きは、昭和62年頃から地元の権利者を中心にわき上がりました。昭和63年、目黒区が「中目黒駅周辺地区整備構想」を策定し、再開発推進地区として位置づけたこともあり、平成2年に設立された再開発準備組合は、目黒区の支援をうけ、その後参加した事業協力者企業と一体となった開発が進みました。 |
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「目黒区大鑑」によると、大正12年現在の目黒銀座通りが開通、ついで環状線道路が起工、初めて住宅が建築されました。昭和2年には東横線が開通、中目黒駅の開設によって商店街が形成されました。発展に拍車のかかったこの地域は、昭和39年の地下鉄日比谷線開通をきっかけに都心へのアクセスが向上し、金融機関の進出やマンション建設などが進み、大きく変貌しました。昭和60年目黒区策定の土地利用計画の中では店舗と事務所等の商業・業務施設の過密化が著しく、地域環境を総合的に整備する必要のある「過密業務地域」と位置づけられるまでになり、地域再開発事業へと繋がっていきました。 |
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昭和63年 |
7月 |
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目黒区が「中目黒駅周辺地域整備構想」を発表 |
平成元年 |
10月 |
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地権者懇談会発足 |
平成2年 |
2月 |
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再開発事業基本計画(素案)発表 |
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4月 |
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中目黒駅前南地区市街地再開発準備組合を設立 |
平成3年 |
7月 |
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再開発事業推進計画策定・発表 |
平成4年 |
2月 |
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目黒区文化公益施設(1000m2)の取得を決定 |
平成6年 |
2月 |
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上目黒二丁目地区市街地再開発準備組合に名称変更 |
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9月 |
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上目黒二丁目地区の都市計画決定の告示 |
平成9年 |
11月 |
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組合設立認可 |
平成11年 |
3月 |
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権利変換計画認可 |
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6月 |
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建物除去工事 |
平成14年 |
3月 |
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工事完了 |
平成14年 |
4月 |
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オープン |
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Copyright 2003 Nakameguro GT. All Rights Reserved. |
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